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STORY1【勇気のない失敗続きの過去】

子どもの頃はバレエダンサーを目指していた。

今は接客業を生業とする私の幼少期は、人と話すのが大の苦手。

また自ら何かに挑戦したりすることがない子ども時代だったと思う。

山梨の山の中で生まれ

そこにある自然の中に遊びを見つけるような子どもだった。

7歳の頃、私はバレエに出会い、その圧倒的な美しさに虜になる

誰にでも初めて何かをすごくやりたいと思う経験というのがあると思うが

私はこのバレエをしたいという気持ちだった。

幼少から身体が強い方ではなく、風邪で入院するような子ども時代

身体も細かったので、風が吹いたら飛ばされそうだとよく冗談交じりに言われていた。

身体を動かすのは嫌いじゃないけど、筋肉がないので運動が得意でなくて、学校の体育の授業も苦手だった

それでも、初めて何かやりたいと思ったこのバレエをどうしてもやりたいと親に頼み、すぐにバレエの世界に足を踏み入れた。

人々が身体や踊りで、いろいろなものを表現する

そのトウシューズ履いてからは、バレエの虫であった。

口下手で、自分が思っていることを言葉にできないことを身体で表現したいと思ったのかもしれない。

私は”言葉以外の表現”を知った

学校では、まわりは好きな人や恋愛の話で盛り上がり、帰りに買い食いをしたり、カラオケに遊びに行っている

テレビもほとんど見ない私は、話についていけずどんどんその世界にはまっていった。

猫背でいつもうつむき加減だった私を先生は叱り、姿勢を良くする為の体幹トレーニングを自宅でもおこなう

要領が悪く、教わったことを頭で考えても、なかなか難しい。

できるのにとても時間がかかり、上達は本当に遅かった。

それでも週5回のレッスン(3〜6時間) それが終わると自主トレーニング 体力をつける為に走ったり、外でジャンプの練習を毎日欠かさない

ゆっくりだが、年齢が上がるに連れ、まわりの子たちは他のことに興味を持ったり、厳しすぎる練習に、やめる子が多かった。

そして幼少の頃から話せないというのが、この言葉を使わないバレエでも先生との受け応えがスムーズにできない為、クラスでも結構な問題児であった。

ただただ好きで、バレエ以外に何も知らなくて、今考えても世間一般のことにだいぶ疎かったと思う。

馬鹿真面目にやり続けた結果、すごくきつかったが次第に技術も上達し、一人で踊る踊りも、演目で主役級の役をいただく機会も増えていった。

先生のおかげで、海外の現役のプリマ(バレエ団を背負って立つような有名なバレエダンサーのこと)に教えていただく機会もあり、私は海外の本場のバレエに憧れを抱くようになっていた。

夢を追うひとりの子どもとしての、ごく自然な流れ

だが、高額な習いごとであることで高校生に入る時、親に続けることを反対された。

それでも高校も迷わずバレエ教室に通いやすいところを選ぶ。

最初は何をしていいかわからず、戸惑い、店長やパートのおばさんにとても怒られた。

しかし、前回よりも (今日は何か一つでもできるようになろう) と働く度に自分で決めて取り組んだ結果、少しずつだが、一つ一つだができるようになった。

最初は口下手な私に接客の仕事が務まるかと思ったが、この経験が無ければ今の私はきっとない

高校から、進路を決める際、順調に思えたこの日々に一つの終止符が打たれる。

私はパリ・オペラ座バレエ団にとても憧れていて

パリ・オペラ座バレエ学校に留学したかった。

それでも、子どもの頃からの口下手、うじうじした性格で、親の反対の中、勇気と実力のない私は行動する事なくあきらめてしまった。

このことがあるので、何か動かないといけない時に、大きな決断をし、行動をするというところまで繋げることができる

一本の電話を頼りにアメリカに仕事に行くことも、シンガポールに出店準備の視察にいくことも。

それは留学ができなかった苦い経験があるから

人生の中での大きな後悔。

誰にでも変えるチャンスはいつでも訪れている

それがきっかけでそれ以降はなるべく後悔のなく生きようと心に決めている。

そしてそれは私の原動力になっている。

あとは自分で決断するか、しないか

最初はどんな形でもいい

やりたいで終わるか、やってみるかだと思う。

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