STORY6【突然のオファー】
お客様に焼き始めてから、数年したある日
その話は突然やってきた。
以前からご来店のあった、あるお客様を、私はその日初めてお焼きした。
女性の焼き手は初めてとのこと。
例のごとく、他のお客様と同じでとても驚いていたが、
会話をするうちに接客をとても気に入っていただいたようだった。
女性シェフであることの悩みは、この時もまだ解決されていなかったが、
お客様に焼き、喜んで帰っていく姿を見るたびに少しずつだが自信になっていた。
そのお客様に、同じ週に指名をいただき、いろいろいろな方と何度も来店された。
どうしたんだろうと思っていた矢先。
聞けば、今は日本に仕事で戻ってきているが、現在はシンガポールに在住。
かつお節の会社を経営されているという。
話があるとその人は切り出した
「シンガポールで出店しないか」
私のお店をシンガポールで出さないかというお話だった。
実は以前もそういった話がなかったわけではない。
もちろん日本での話だが、
接客がよかったから少し冗談交じりで、いつか鉄板焼を出そうと思っているからその時、看板シェフにならないかというものだった。
今回もその類のお話かなと思って聞いていた。
だがそれは聞けば聞くほど本格的な話だった。
シンガポールに和食のレストランをいくつか出店されていて、今度鉄板焼の店をつくりたいと考えていて日本のシェフを探していたとのこと。
しかし
なぜ、私なのか。
そのお客様は
それぞれのシュチュエーションにあった接客ができること、お客様がどうしたら喜ぶかを常に考えてる姿勢をとても評価していただいていた。
本当に嬉しい。
私はわからないことを、誰かにあれこれ教えていただくことも時には必要だと思うが
何より自分の目で見て、経験して理解したいところがある。
なので、シンガポールに行くことにした。
初めてのシンガポール。
初めての視察を兼ねた出張。
私のまわりにいる人たちはみんな心配していた。
現地に知っている人が誰もいなかったらどうしよう。
用意していただいたホテルに向かう中、もし聞いていた話でなかったら?
と思わなかったわけではない。
それでも見てみなければわからないし、
私は自分が無知で、ある一定以外の物事に関しては知識が乏しいことを知っている。
自分で想像できることというのはたかが知れているということだ。
見に行かなければ何も始まらない。
またお話をいただいて、そもそも聞いた話がまるっきりその通りだとは思っていない。
おいしい話にはウラがあるではないが、仕事というのはお互いの条件をすり合わせていくものだろう。
希望が通らないことなどほとんどだ。
もし先方のいう条件と私の条件が合わなければ、お断わりすればいい。
いいなと思ったものに、とにかく手を挙げること
そうすれば、今の自分より成長した自分になれる
それはわかっていた。
着いたところから、素敵な国だと思った。
きれいなことはもちろん、なんだか人が優しい気がする。
一年中温かいからだろうか。
それだけでいい国だなと思ったし、ここで暮らすのもいいと本気で思った。
結論は
そこでは条件が合わず、私はその話を断ることとなった。
それでも、その地に赴き、現地で店作りの為にあくせくしていろいろ調べ、メニューを作り、物件を探し、予算を立てて店がまわるか考えたこと。そして、たくさんの方々にお世話になったことは今、財産としてしっかりと残っている。
数年間ずっとホテルで働いていた私にとって、それは間違いなく視野の広がりをもたらせ、同時に今いるところでやるべきことの再確認にも繋がった。
まだまだできることがあると思った。
しかしあの時、話をいただけたこと、そしてそれを自身で考え行動をおこし、最後に決断したことは今の自分にはなくてはならなかっただろう。
あの時頑張ってよかったと、今本当に思っている
そして人生はそれの積み重ねであることも。
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