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STORY4【修業時代】

調理の専門学校も行っていない、現場経験もない私を
雇ってくれるところはなかなかなかった。

自分が独学で学んできたことが、果たして合っているのかもわからない。
でも、
とにかく料理をつくる仕事がしたい。

何軒の店に断られたかわからない末、
恵比寿にあるイタリアンダイニングバーに面接に行った。
ハローワーク経由の応募であった。

元はバリバリの営業マンだった方が、脱サラしてつくった絵に描いたように雰囲気のいい大人の隠れ家のようなお店。
30代中盤の品のいいマスターとイタリア帰りのシェフ

私は、頭を下げながら、どうにか雇っていただけないかとお願いした。

オーナーはしばらく考えた後、この条件ならいいよと答えてくれた。

「週に一回、皿洗い」

週に一回、それも皿洗いがメインの仕事。
それで料理が学べるわけがない。

でも

それでも調理の現場に立つことができる。

何より、未経験の私を雇ってくれようとした
こころが嬉しかった。

私は一つ返事で答えた。

それから週に一回の皿洗いと、居酒屋でサービスの仕事の掛け持ちの日々が続く

ダイニングバーのシェフは寡黙で、それも一人仕事。
私は、私の皿洗いの仕事がある。
なかなか料理に携わることができなかった。

半年を過ぎた頃に、オーナーからもう一日働いてもいいよと言ってもらえた。
シェフも私にまかないを作ってくれながら、
料理を教えてくれるようになり、
そうして一年が過ぎた。

毎日調理の仕事がしたかった私は、中野にあるイタリアンカフェの仕事に応募した。

人がやめたばかりで、すぐに来て欲しいといってもらえた。
ほぼゼロだった調理経験が、最初は先輩に教えてもらいながら、あとは見よう見まねで、試行錯誤しながら、作り続けた。
小さなお店だったので、私の味を気に入って食事に来てくれる人もできた。
初めての常連さんだった。

それから数年かけて、メニュー作り、コスト管理、集客するためにはどうしていくか、そして店全体の運営も任された。
20代だったこともあり、がむしゃらに毎日16時間働き、考えつく、できる限りのことをした。
今だったら、身体がもたないが、念願の仕事に就けたこと。そして、つぎつぎとできる目標を追いかける楽しみで頑張れた。
私の小さなファーストキャリアだが、ファーストキャリアはつらければつらい方が、そのあとはずっと楽であると今は思う。
だから、無謀なことにも、あのときを考えれば今は全然大丈夫だと思うことができる。

努力を評価してもらえたのか、代官山のお店の店長になり、一からお店作りをした。
そして26歳の時に、2店舗の責任者となったが、もっと料理をいろんなシェフの下で学びたかった私は、次の就職先として東日本橋にあったフランス料理店の門を叩いた。

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